栃木県のビール麦栽培の歴史

栃木県は、ビール麦の生産量が長年日本一であることをご存知ですか?
栃木県のビール麦栽培の歴史は古く、明治39年に河内・上都賀・下都賀・塩谷・那須の5地域から始まりました。それまであった日本麦酒株式会社・札幌麦酒株式会社・大阪麦酒株式会社の大手3社が合併し、新たに大日本麦酒株式会社が設立され国産ビール麦を使用した麦芽を製造する方針から本県との間で契約取引に至ったことが発端です。
特に県南地域では、雨や雪が少なく日照時間も長いためビール麦の栽培に適し、米との二毛作が盛んに行われる様になり、すでに大正6年には生産量が日本一となりました。

次世代に繋ぐ

現在では栃木県は、日本のビール麦作付面積の約4割を占めており、国産ビール麦の生産市場を大きく支えています。
1954年には、栃木市にある「栃木県農業試験場栃木分場」が、農林水産省の「二条大麦育種指定試験地」、さらに国内唯一の「ビール麦品質改善指定試験地」に認定されました。場内にある「ビール麦育種研究室」や「ビール麦品質研究室」では、新品種の育種とともに主力品種の品質向上に力を注いでいます。

麦作りの伝統が支える1杯

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